あなたとわたしの価値は同じ
無価値感の原因
自分に価値がない、とか
自分は大した人間じゃない、と、
思っている人はいるかと思いますが、
なぜそうなるのかということを、
わたしなりの観察で言いますと、
●周りと比較してしまう。
●周りと同じようになりたい。
●周りと違う自分の部分についてイジメられる。
●周りと同じように出来ないとついていけなくなるか、
辞めさせられる学校や社会のシステムである。
●失敗に厳しい社会である。
まだまだ出てきますが、
大きく観ればこんなところがあるのかなと
感じます。
役者であるという視点
例えば、演劇などで王様の役だったり、
家来の役、民衆の役、改革者の役、
発明家の役、泥棒の役、先生の役、
生徒の役、イジワルの役、優しい人の役、
詐欺師の役、人殺しの役、障害者の役、
などなど、いろいろな役が
あると思います。
その役の役者が、
「この役は価値のない役だからやりません!」
「この役は惨めな役なのでわたしは惨めです!」
などと言うでしょうか?
言わないと思います。
それは、コレは演劇なのだ、と理解している
からであると思います。
そして、
わたしたちの人生も、
役者としてお互いが存在している、という、
視点を持つこともできるのです。
その視点になるにはどうしたら良いでしょうか?
相対性の世界の理解
この世の中は、
全て反対とも言える存在が在るから
成り立っています。
この世界が全て白い光ならば、
どこかで新たに白い光を灯したところで、
確認することも体験することもできません。
同じように、
丸い顔と言われる人がいるから、
それと比べることでわたしの方が少し四角い丸顔だ、
などのように認識することができます。
ビルの下の階があるから、
上の階に登るという体験ができるのです。
これが上の階が存在しなければ、
下の階という概念も存在できないのです。
反対と思えるものがどちらも在るからこそ、
経験自体ができるのです。
そうなると、
「喜びだけの世界だったらいいのに。」とか、
「常に平和だったらいいのに。」というのは
ありえないものだということがわかるかと
思います。
このように観ると、あなたというキャラクターは
世界中の人がお互いを認識、体験するために
なくてはならないものだと思えるのではないでしょうか。
あなたもわたしもなくてはならないのならば、
あなたとわたしの価値は一緒なのです。
たとえどんなひどいことをしたとしても、
逆にされたとしてもどちらも大切な
この相対の世界が存在するための要素なのです。
肝心なのは、あらゆる出来事や性質や環境に対して、
それの中でもマシなもの、素晴らしい部分に
フォーカスすることで、
心地よい感情になるべくベストを尽くすことが
大切と感じます。
そうすることで、心地よい感情と同じ波動の
現実を引き寄せるので、
心地悪い環境や人に巡り合う割合が格段に
減る事になります。