ニートでも良い
シゴトをしない理由
あなたがもしシゴトをしない時は
どんな時でしょうか?
働きたくない。
働くと疲れる。
働くと不安な瞬間がくるから嫌だ。
お金がたっぷりある。
シゴトというものが嫌いだ。
人と会いたくない。
ゴロゴロしているほうがマシだ。
着替えるのも歯磨きも面倒だ。
無氣力になって動けない。
シゴトをする意味がわからない。
サボっているとワクワクする。
傷つきたくない。
やりたいシゴトが見つからない。
こんなふうにいろいろ出てくるかと
思います。
これらのシゴトをしない理由はすべて、
感情がからんでいるのはわかり
ますでしょうか。
感情に変換してみる
例えば、
「働きたくない。」という時の感情は
人によっては、不信感かもしれないですし、
不満の感情かもしれません。
「働くと疲れる。」という時は
無氣力の感情かもしれませんし、
疲れてしまう事自体に不安の感情が
あるのかもしれません。
お金がたっぷりある。という時の感情は
満足感、自由感、などの感情が
家に居ても持てるので、
わざわざシゴトに行きたくない。
ということかもしれません。
人と会いたくない。という時の感情は
シゴトで人にあうと緊張や不安の
感情になることがわかるからイヤなのかも
しれません。
逆に、
シゴトに行かないと不安の感情になる人も
いるかもしれませんし、
シゴトに参加していることで
社会的に役に立っている感があり
価値の感情を抱く、という人もいるでしょう。
それから、
シゴトに行くというルーティンがあるから
安らぎの感情で居られるという人もいるかも
しれません。
こうして観ると、
シゴトに行く、行かない、どちらにしても
なんらかの感情が湧いていることが
わかるかと思います。
そして人は潜在的に、
心地よい感情でありたいのです。
だから場合によってはシゴトをするし、
場合によってはシゴトをしないのです。
結局、マシな感情になる方、素晴らしい
感情になる方を選んでいるのです。
ニートで居られることへの感謝
いろいろな理由があったにせよ、
シゴトに行かなくても成り立っている
状況、生きていられる事実への
感謝の感情も、持つこともできます。
かと思えば、
他の人と比べて、
「わたしはシゴトをしていない、
役立たずの人間だ。」と
無価値感の感情や無氣力感の感情を
抱くことだってできるのです。
そして、不快な感情を味わえるから
こそ、心地よい感情へ戻そうと
氣づくことさえできるのです。
この、目に見えない「感情」という
言語の視点で生きることにより、
あなたは、ニートだろうが、
シゴト人間だろうが、
感謝や喜びという心地よい感情で
生きられるのです。
なのでもしあなたがニートに
なっているとしたならば、
ニートを選んでいることのメリット、
素晴らしい点、心地よい点、
などを挙げていき、
それを感謝の感情まで高めてみては
いかがでしょうか?
決して自己嫌悪や無価値感のままで
いることはおすすめしません。
なぜならば、
それは心地悪いですし、
それは、心地よい感情に戻すための
一時的な危険信号に過ぎないからです。
一旦、このような視点を持ち、
ニート生活を送ってみるのも
楽しいと思います。
そうすると不思議なもので、
またシゴトもしてみたくなるかも
しれませんし、
シゴトでも心地よい感情へ
自らを導けるようにもなるのです。
ニートで居られる環境なのであれは、
存分にニートを味わってみられては
いかがでしょうか。